冬らしい空気の冷たさと、心地よいぽかぽかの陽ざしを感じる日々が続いていますね。
季節は冬至へと巡りました。
前回の「IeNiwa 季節めくり」は、「五節句」についてご紹介をしました。
季節ごとのならわしの由来や意味を知ることで、その時々の想いに変化が訪れたら嬉しいです。
これまで、暦、二十四節気や七十二候、五節句についてお話を続けてきましたが、最後に「雑節」(ざっせつ)という暦についてお話をしていきたいと思います。
雑節といわれるとわかりにくいですが「節分」や「彼岸」と言えば耳なじみがありお分かりになりますよね。
それらのいわれや、他の雑節についてもご紹介していきたいと思います。
【雑節(ざっせつ)】
これまでお話したように、二十四節気のもとは中国でつくられたものであり、日本の季節に完全に当てはまる訳ではありませんでしたね。
そこで日本では二十四節気や七十二候、五節句のほかに、季節の移り変わりをより適確に掴むために、折り目折り目に設けられた季節の指標が「雑節」です。
雑節は、はじまりが貴族や武家の儀式ではなく、主に農作業と照らし合わせた季節の目安となっているため、日本の気候風土に合っています。
先人たちの知恵と経験が生み出した日本人の生活文化から生まれた独自のものといえるでしょう。
日本で考案された主な雑節は、下記の通りです。
【節分(せつぶん)】新暦2月3日頃
こちらは、今でも子供たちと一緒に「鬼は~外!福は~内!」と、豆をまく日としてよく知られていますね。
冬から春への季節の変わり目にあたる立春の前日で、旧暦では1年の始まりの日にあたりました。
厳しい寒さから暖かい季節に移り変わることから、特別にめでたい日でもあったのです。
そのため節分といえば、この立春の前日、つまり今でいう大晦日という特別な日のことを指すようになりました。
先人たちは目に見えない病気や災害を鬼(邪気)に例えて、それを追い払うための儀式として豆まきをおこなっていました。
庶民の間に豆まきという風習が広まったのは江戸時代に入ってからだそうです。
では、なぜ「豆」をまくのでしょう?
古くから穀物や果実には精霊が宿るとされていて、豆には“魔を滅する”という意味の「魔滅」(まめ)という漢字もあてられているために、鬼(邪気)を追い払うものとして使用されるようになったそうですよ。
【彼岸(ひがん)】新暦3月21日頃、新暦9月23日頃
春分、秋分を挟んだ7日間のことをいいます。
最初の日を「彼岸の入り」、最後の日を「彼岸明け」、真ん中にあたる春分・秋分を「彼岸の中日(ちゅうにち)」といいます。
極楽浄土は西の彼方にあるとされているため、太陽が真西に沈む春分・秋分にお墓参りや先祖供養を行うようになりました。
【社日(しゃにち)】春分と秋分に最も近い戊(つちのえ)の日
旧暦では1日1日の暦に「十干(じゅっかん)」が割り振られています。
「十干」は「「甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸」の10種類。
「戊の日」とは、その5番目の「戊」にあたる日です。
10日に1度「戊の日」がまわってきますが、1年は365日か366日なので、「戊の日」は、年によって日にちが異なります。
社日の「社」は、その土地の守護神である「産土神」(うぶすながみ)を意味します。
その土地で産まれた人々の一生を見守り、特に土地神として五穀豊穣の「食べる運」、つまり家計を守護してくださるともされてきました。
社日は産土神を祀る日であり、年に2回春と秋に訪れ、春の社日を「春社(はるしゃ・しゅんしゃ)」秋の社日を「秋社(あきしゃ・しゅうしゃ)」とも呼びます。
その日が、春は種まきの時期、秋は収穫期にちょうど良く重なる事から、農業を行う人々にとって大切な節目の日となっていたのです。
春の社日には五穀を供えて豊作を祈り、秋の社日には初穂を供え収穫に感謝していました。
社日に行われる行事は、それぞれの土地の神様を祀るものであるため、地域によって様々です。
【八十八夜(はちじゅうはちや)】新暦5月2日頃 立春から八十八日目
「夏も近づく八十八夜~♪」という歌でもお馴染みですね。
春から夏に移る節目の日で、この日から夏の準備を始めます。
「八十八」という字を組み合わせると「米」という字になることから、農業に従事する人にとっては五穀豊穣を願う特別重要な日とされてきました。
【入梅(にゅうばい)】 新暦6月11日頃
黄経(太陽の経路)が80度を通過する日で二十四節気の芒種(ぼうしゅ)から数えて6日目頃です。
梅の実が黄色く色づいて、梅雨 に入る頃を教えてくれます。
農作業をする方にとって梅雨時期を知る事はとても重要でしたが、現在のように気象情報は発達していなかったので目安として必要だったと考えられています。
【半夏生(はんげしょう)】 夏至から11日目。新暦7月2日頃
薬草の半夏(別名:烏柄杓\からすびしゃく)が生える梅雨明けの時期で、田植えを終える目安とされています。
梅雨明け間近の時期にあたり、昔からこの日までに田植えを済ませるのが、米農家の習慣だったそうです。
「半夏半作」とも呼ばれ、半夏生以降になると、秋の収穫が半減すると考えられていました。
その他にも、関西地方には半夏生にタコを食べるという風習が根付いているそうです。
なぜこの時期にタコを食べるのでしょう?
田植えが終わる時期にタコを食べるという事には、
「稲の根が、タコの足のように四方八方しっかりと根付きますように」
「稲穂が、タコの足(吸盤)のように立派に実りますように」
というような願いが込められているのだそうです。
【土用(どよう) 】立春、立夏、立秋、立冬直前の約18日間
次の季節へ移る前の調整期間といったところでしょうか。
立秋前の約18日間の夏の土用が最も知られていますが、実は年に4回各季節ごとに土用はあるのです。
夏の土用期間は、最も暑さが厳しい時期として「暑中」と呼んで暑中見舞いを出す時期でもあります。
最近では「手紙を書く」ということ自体が減ってしまっているように思えますが、例えばガラスペンとインクでみずみずしい文字をしたためて、大切な方へご挨拶を送付してみるのは、いかがでしょう。
受け取った方も、新鮮な喜びを感じられるのではないでしょうか。
夏の土用は、1年の中で最も暑さが厳しいとされる時期にあたるため、江戸時代にはこの期間の丑の日を「土用の丑の日」と重視し、柿の葉などの薬草を入れたお風呂に入ったり(丑湯)、お灸をすえたり(土用灸)すると夏バテや病気回復などに効き目があるとされてきました。
現在では、この暑い夏のみ「土用の丑の日」と呼ばれ、鰻や梅干し、瓜、うどんなど「う」のつく食べ物を食べて精をつけ、無病息災を祈願したり、丑湯に入る習慣が残っていますね。
土用の期間は、土を司る土公神(どくしん・どくじん)という神様が支配するといわれ、土を動かしてはいけないとされてきました。
今でも、家などを建築する際、土を掘り起こしたりする基礎工事などは土用の期間をはずす方が多いようです。
【二百十日(にひゃくとおか)】新暦9月1日頃 (立春から210日目 立春を1日目とするので立春の209日後)
台風がやってくる時期とされています。
この時期は稲が開花する季節で、農家にとってはとても大切な時期でした。
そこでこれまでの経験から、気を緩めずに過ごすようにとこの日を厄日(=荒れ日 悪天候の日のこと)としたという説があるそうです。
近代では、二百十日の頃とされる9月1日に関東大震災や大きな台風の災害があり、防災の日として防災訓練などが行われるようになりました。
【二百二十日(にひゃくはつか) 】新暦9月11日頃(立春から220日目 立春を1日目とするので立春の219日後)
二百十日から二百二十日は台風が集中する時期とされています。
旧暦8月1日の「八朔(はっさく)」、「二百十日」、「二百二十日」を農家の三大厄日としています。
二百二十日は、自然災害に見舞われることが多い時期であることから、その教訓を伝えるために「暦」として現代に伝わってきたと考えられています。
現在のように台風の予測ができなかった時代、先人たちはこの日を恐れて警戒し、風を鎮める祭りを行って収穫の無事を祈るようになりました。
そのため、農作物を風害から守るために神に祈りをささげる風祭りが各地で行われています。
この様に、農作業に深く関係している雑節ですが、現代にもそのいくつかの暦は暮らしに根付いていますね。
土用などは夏の土用だけではなく、年4回の土用の時期に、次の季節への移り変わりのためにカラダの養生をするといいとされています。
その季節ごとの旬の食材を意識して取り入れたり、カラダを内側からも休ませてあげて、変わりゆく気候に影響されにくいカラダに整えていくといったイメージです。
とても理にかなっていて、暮らしの中に季節を感じるという事を、昔から先人たちが大切にしてきた理由がよくわかりますね。
現代では、様々なサプリメントや健康食品があり便利ではありますが、こうした「気づくこと」「感じること」で自分養生をすることも、今だからこそ大切なことなのかもしれません。
ここまで『IeNiwa季節めくり Vol.1』として、二十四節気や七十二候、五節句、そして雑節とそれぞれのいわれや特徴を簡単にお話してきましたが、いかがでしたでしょうか?
これからは、それぞれ季節ごとのお知らせを兼ねて『IeNiwa季節めくり Vol.2』として、リアルタイムで季節の便りをお送りしていくつもりですので、「そうか!今はこういう季節なんだなぁ」と思いを馳せたり、暮らしの中に「なら、こうしてみよう!」などの「気付き」や「習慣」のヒントとしてご覧いただけたら幸いです。